2017年は悩みの年でした、
土井大輔、就職活動始めました。
今年2017年の3月にオーストラリアのITと国際貿易の専門学校を卒業し、日本に帰国。
今が12月なのでこの9ヶ月間、色々な形で自分と向き合い、会話をし、行動した1年でした。結局、現在は日本で就職活動をしています。
元々、日本の企業で働くのはあまり考えていなく、自分でお金を稼ぐことに執着して、3月に観光業の事業計画書を作り始めました。
インバウンドのマーケットが異様に大きくなっていたので、外国人観光客をサポートするオンラインサービスを作ろうと考え、
居酒屋やバーで会った人や、友人などにプレゼンをし、アドバイスをもらったり、路上で外国人にインタビューをしていたのですが、
結局1つの迷いが心の中にありました。
「自分のやるべきことは本当にこれなのか」
と考え始めてしまったので、一度手をとめました。
「自分は何をしたい、何ができる、何が好きなのか、何を人生で成し遂げたい」
といった内容を自分会話日記を作成して、毎日、自分自信を理解することに時間を使いました。
1か月ほど悩んでも迷いは消えなかったので、自分で一本立ちするには早いなと判断しました。
でも、諦めたわけではありません。
将来、社員一人一人が自分が自分でいられる会社を作りたいと思っています。
そのうちにみながピースに暮らせる独立国も作りたいです。
企業が1つの国の資本金と同じくらい保有しているこの時代、可能になると信じています。
簡潔に説明すると、、
〜7月頃〜
結局、事業計画書を進める手を止めて、自分で英会話塾を始めることにしました。
10歳の野球をやっている弟がいるのですが、その野球チームの保護者にアタックをし、4人の子供が集まったので、週一で授業を行いました😋人に教えるのはとても難しいけど、楽しさが大きいですね!^ ^
〜8月、9月頃〜
大親友のてんと精神統一のため富士山登頂。
ジーパンとスニーカー、深夜登り始める寝不足という状況、しかも弾丸登山。初心者がやってはいけない3つの事すべてやりました。結果ぼくは高山病になり、苦しみながら登頂ww。。登れたのでよしとしました!
観光業をやらないなら、前々から考えていた海外で勤務をしたいなと思い「カモメ転職」を使い就活。
希望の勤務地
・シンガポール
・香港
・オーストラリア
・タイ
新卒でも入れる国や企業を探しましたところ、・タイ・香港に絞られました。
自分はタイのハーフなので、スタートするにはちょうどいいなと思いタイで働くことに決めました🌈
すぐ面接の予定を立て2週間ほどタイへ!
面接は貿易のベンチャー、ソフトウェア営業、営業の会社です。
幸いなことにタイにはオーストラリア時代の友達が現地採用で働いていたので、参考になる話や生活を教えてもらい、しかも居候もさせてくれました。
プールジムが屋上についてるこの高層ビルで家賃は4万円くらい!激安!タイの物価は日本の3分の1くらい!
面接⇨プール⇨面接⇨プール⇨面接⇨プール⇨プール⇨プールって感じかな!
結論から言うと、タイは日本企業が多数進出していて、日本食レストランやインフラも東南アジアの中では揃っていたので環境はとても良かったです。
ですが、タイにある日本の支社は日本の企業との繋がりが90%で営業相手も日本企業。それなら日本で働いても変わらないのではと思い、タイ就職を考え直しました。
*もちろんすべてのタイの日本支社はではありません
全く関係ない写真。。
〜12月〜
マイナビ国際就職イベントに参加しました。対象は主に留学経験ありの学生のみで、企業がそれぞれブースで説明会を開いていて、そこに伺い説明を聞いて気に入ったらそこで面接というシンプルなイベントでした。
みんな海外の大学卒業や、大学院生。しかもマサチューセッツ大学の人も。
ぼくはただの専門上がりだったので、学歴の差が歴然wまぁ関係ないですが!
面接を何件か受けて、二次面接決定!1月に!!
エストニア大学院生の友達とオーストラリアのシドニー大学の人と友達の友達ができた👍😜
やっぱその場で内定を出して欲しかったのが学生からのコメントですね。国際就職イベントなのに、スピードにかけると思いました、実際1週間前後しか学生は日本に滞在していなかったので。
ざっと大雑把に出来事をまとめてみたけど、改めて思ったのが自分の文章力のなさww
もっともっともっと頑張りますので、今後もよろしくお願いします😁
来年は突発、一瞬の行動よりも、行動は当たり前としてそこから継続したいと思います。
それではみなさん、よいお年を!!😘🌈
寄り道、詐欺、ハプニングだからけの初の1人旅 in タイ
最初はどんな人でも失敗するもんですよね。失敗や成功から学び人は成長するものだと思います。一番アカンのは挑戦しないことだと思います。さて、今回の記事では私が母国のタイに初めて行った時のことです!!
2016年(20歳)、オーストラリアの専門学校へ入学することが決定し、オーストラリアに旅立ちました。その道中の最中に寄り道がてタイに帰ったときの詐欺やハプニングが起きた記事です!!
前々から、タイのバンコクに友人がいるので会いに行きたいなぁと思っていて、飛行機を調べてみたところ、タイに寄ってオーストラリアに行っても一万円くらいしか変わらないのでノリで行こうと決めました!(‘∀‘)
ちなみにタイは10年ぶりくらいで非常にワクワク!!
ちなみにAirasiaという格安航空をよく使います。時期によってですがめちゃ安いので、オススメです!
出発する1週間前に予約したら、羽田空港からドンムヤン空港(バンコク)まで2万、バンコクからオーストラリアのパースまで3万=合計で5万くらいでした!
オーストラリアで英語もしゃべれるようになったので、海外旅行なんて庭を散歩するくらいの気分だったのも覚えています( ˙-˙ )
タイの空港に到着!暑いですねー
湿気がとにかくやばい、、、タイはタクシーが安いのでタクシーで行こうかなと思い、タクシーを捕まえることに!
空港でタクシーを待っていたら、変なおばちゃんがノコノコ寄ってきて、めっちゃフレンドリーに話しかけてきました。英語には自信はありましたが、タイ語は全く。唯一喋れるとしたらこの言葉、タイに行く前に母親から教わりました
➡「パサタイ メダイ ナ(タイ語は喋れません)」
という意味の恐ろしいほど役に立たない言葉。。。。
なぜその言葉だけ覚えたのだろうと後悔しました。
話を戻し、そのおばちゃんは、幸いなことに英語も少しでき「僕はタクシーに乗りたいんだ」っということを伝えることに成功しました。彼女はタクシーをぼくのために呼んでくれて、しかもガイドさんみたいに同伴までしてくれました。
この時は気づかなかったのですが詐欺の典型的なパターンですね。普通ならありえない状況で疑うところなのに、僕は「タイ人はなんて親切なんだ!!!!」と感銘までうけました。
僕は、簡単なカモですね。。。。
詐欺の内容はというと、タクシーのメーターを使わず5割増しくらいの600バーツくらいを要求してきました。海外ではあるあるのネタですが。。。
そんなことも知らずにホイホイと支払ってしまった私。
タイのバーツの値段の相場を聞き忘れてたので、まだそのおばさんを「なんていい人なんだ」と思っていました。だまされたのだと後から友人に言われて気づきました。。。
しかもそれだけならまだしも、お金をすり替えられてた事実にも気が付きまたーーーーーーー(;'∀')
500バーツ札と100バーツ札を手渡しでそのおばちゃんに渡して、一度助手席に戻り数えていたのでありがとう言い、タクシーから出ようとしたら
「これ違う。100バーツ二枚じゃなくて500バーツでしょー」
みたいなことを言われ、あれ、違かったっけ。うーん、と悩みながらもすんなり払ってしまう僕はまぬけです。
よくよく思い出してみた結果、時間帯は夜だったので、支払いの時タクシーの室内電気もつけてなく、おかしい点が何個かあることに気が付きました。
何はともあれ、深夜が回ったくらいに友達のマンションに着きました。
やっと着いたとわくわく、ルンルン気分で(詐欺だったとはまだ気づいていない)友達のマンションへ入っていきました。そこでまたもややらかしたことに気が付きました。。。。。。
。。。。。部屋番知らん。。。。
「そうだ電話しよう!!!」と思い携帯を開いたが、圏外。。
SIMカード明日に買う予定だったから携帯も使えない。そもそも電話番号もわからない。。管理人もいないとこなので人にも聞けず、、
絶望。。。。。
その晩は、マンションの中にしんみりと置いてあった、年季がはいっていてひび割れてるソファで過ごしました。次の日は5時半に起き、友達が下りてくるのをひたすら待って、やっとのことでその友人と感動の再開!?かはわからないけど、あほみたいに僕は感動したのを覚えています(笑)(笑)
そのあと、今までのことを詐欺だと知り、曇り空みたいな気分で最初の一日過ごしたのを覚えています。
トクトクで気分転換。
ータイの情報-
タイにはとても親日で、日本企業が一番進出しているのは中国ですが2位がタイ。日本企業が4,788社(2016年)進出していて、タイの人口が6800万人いる中、在留日本人は67,424人います。 最近は新卒でも就職できる環境なので日本の若い人もステップアップで現地採用を狙いに行く人が増えています。2017年のタイのGDPは3.4%増になるとの見通しがタイ中央銀行から発表され、数値上では緩やかに経済成長が続くが実際は不況が続いているようです。
どこの国も経済が不安定な2017年、自分のしたいこと、できることを世界の流れをもう一度確認したいと思います。
次回は志をもっていくオーストラリアのIT専門学校の記事を書きたいと思います!^^
大ちゃん 過 去 (さなぎ)
西オーストラリアの語学学校を卒業後(当時19歳)の自分!前回をまだ見てない人は「だいちゃん過去 いもむし 」をご覧ください( ˊ̱˂˃ˋ̱ )
2015年1月に語学学校を卒業し、
サーフィンしたり、崖から飛び込んだり、アクティブなことばかりw
仕事はローカルのバーとカフェで働きながらオーストラリアライフを3カ月満喫。
事故や問題があったと言えば小さいことですが、
海で波に飲まれ3日間入院したり、
働いてたバーでストライキがおきるたり、
働いてたカフェはボスが飛んで潰れるわ、
すばらしく楽しいオーストラリア生活だったw
これからのことから自分の主張の権利とそれを主張する大切さを学んだ。
この素晴らしいオーストラリア生活という人生観が変わるきっかけをくれた、父上、母上にとても感謝しています。
ありがとうございます。
さてさて、日本に帰国し、次はどうしようかなぁと考え、思いました!!
次は英語 ”を” 学ぶから、英語 ”で” 学びたいなと思い、オーストラリアの専門学校に1年行くことを決意!!
時代は情報産業!!まず無知なITの知識を自分に取り入れなければと、ITのnetworkingを6カ月勉強することに!ノートパソコンをケーブルから外して使えるのを知ったのは19歳の夏。また1からスタート。
もう6カ月は前から興味のあった国際貿易に決定!
世界のほとんどの産業に関わっていて、
国を発展させるのに非常に重要な仕事の1つ。元々は国と国の戦争をなくすために作られた協定というか仕事で、世界の平和に直接関連する素晴らしい仕事だなと思いました!
決まったからにはまずお金を150万貯めることと、IELTS5.5を取得が必要ということをしりました。
IELSはオーストラリア、イギリスで使われる英語検定です。
簡単に言えば、日本ではTOEIC、アメリカではTOEFLみたいなものです。
自力で勉強することに決めたので、仕事の間や、仕事中でも単語の勉強、トイレや空いた時間をすべて勉強に!
はじめて自分でなんとなくではなく、意識して目標を定め、ほんとうの ”勉強” というものをしたと思います。
IELSは難しいよーって言われてたのですが、不合格するってイメージすらもできなく、その当時は専門学校に行けるというワクワクしかなかったです。w
元々、自分の家は兄弟4人いて両親も共働きで、学校は高校までと自分で勝手に思っていたので
いま、自分がまだ学校へ行けることや、勉強ができる環境にいること、家族がいることへの幸福、感謝しかなかったです。
そしたら、なんでも楽しく思えてきた20歳の夏!!
仕事は夜、六本木のバーと昼間はレストランでウエイターを。友達が昼夜働くのはまじきついっていうのを聞いて、そんなのほんとかよっと思いやってみました。。。
なかなかきつかったです!w
IELS検定は1カ月に一回のペースで試験があるので、試験自体に癖があるので、様子見で1カ月勉強して一回受けてみました!
なんと合格💮💯!!
するわけがなく、
リスニング、ライティング、スピーキング、リーディングがあるなか、すべて5.0以上なおかつ平均で5.5以上取らないといけないこのテスト。
スピーキングが6.5なのに対し、ライティング(エッセイを書く)では3.5。。。リーディング4.0。。
1を伸ばすので普通3カ月かかるとネットで読んだので
絶望を感じました。。。
まずネットで勉強法から調べ、リーディングは参考書ひたすらやったり、ネットからとった文章題をやったり、ライティングはオーストラリアで先生をやってる友達にやったやつを送って直してもらったり。!
次のテスト当日、試験会場前のマックに余裕をもって待機し、テストの最終確認をしていました!
30分前に気合をいれて会場入り!!
なんと、試験会場を思いっきり間違えました。。。。
勝手に前回と同じ場所だと思っていたので、絶望です。。。
電車で遅延していないにもか変わらず2分の遅延証をもらい急いで向かうも受付時間5分オーバーで受けられませんでした。。
テストに集中しすぎて、凡ミス。
ほんーーーーとぉーーーに馬鹿だと自分で思いました。
3万円ドブに。。
その1カ月後、テストを受け
スピーキング6.5
リーディング5.0
ライティング5.5
リスニング4.5
平均5.5
平均は5.5だったんですが、なんとリスニングが下がって不合格へ。
さすがにショックでぼごぼこにTKOされた雰囲気でした。
入学が2月になのにもう9月、、、自分の誕生日の月⬅️どうでもいいですが
次がラストチャンスでした!
無理だったら無理だったときに考えるという考えだったので、落ちたことは全く考えなく集中しなおし、テストを受けました!
とうとう合格💮
おめでとう!!!
ありがとうございます!!
これで無事に専門学校へ。
この年は成人式があったので成人式のあとにタイによりオーストラリアへ行く事に決定!
タイではまた波乱万丈なことが起きます。
次回で書きたいとおもいます!
みなさん: 成人おめでとう!!!
みなさん: いい大人になってー!!
ありがとうございます😍
Love ur life u live, live the life u love
自分の好きと思えるような人生を生き、
自分が好きと言えるような人生を生きろ。
この言葉にあったのもこの年です。1番好きな言葉の1つ!!
大ちゃん の 過 去 (いもむし)
〜自分の簡潔な紹介〜
僕のハラハラドキドキの失敗連続でアホな、バックグラウンドを簡潔に教えたいと思います。
〜赤ちゃんから中学まで〜
日本、埼玉県越谷市1995年9月18日に生まれ、父が日本人、母がタイ人のハーフです。4人兄弟の中の1人。
ちなみに1995年は地下鉄サリン、阪神大震災が起きた年です。。。w 次の年にはバブル崩壊。。中々の年代ですw
父が野球好きで監督までやっていたこともあり、小学1年生なった時にプレステにつられ埼玉県越谷市の大林ストロングナインに入部!
親の教えもよくて、中学3年まで野球をやってたくさん友達ができ、最優秀選手賞にも何回も選ばれて、辛かったけどかけがいのない思い出ですね。野球をやって学んだことは、仲間の大切さや、厳しい練習のあとにある、試合に勝った時の達成感、やり抜く力です!
〜高校生活〜
高校ではどこにでもいるヤンチャな生徒で勉強はケツから3位以内。日本の教育、学校というものが牢屋に感じていた時期に、停学になり、色々考えた結果、働きながら通信に通おうと決心、退学をしようというのを父に伝えたら、父に猛反対され、涙しながらその理由を教えられ、説得されました。それをきっかけにしっかりと卒業をすると決心しました!
オール1だった成績をオール6.7くらいまで戻し無事2年生になった!1ヶ月ぶりに学校の教室のドアを開けてクラスに入った時の気まずさは忘れません。。笑笑
2年ではわけのわからないボランティア部の部長に就任。月一でごみ拾い大好き集団ということで町中を拾い回りました笑笑
高校ではいい思い出はあまりないが、強いて言えば、「我慢」というものを覚えた。
進路は、親戚(日本人ではないが)がオーストラリアにいるので、なにか新しいものが見えそうな直感てきなものを信じ、高一の時にオーストラリアに行くと決めていた。
オーストラリア留学を先生からは反対されたが親のアドバイスと高校が保有してた企業には未来がないのを教えてもらい、このまま普通にしててもダメだ「断固たる決意」絶対に英語を喋れるようになるのと新しい自分になって帰ってくるという気持ちをもってオーストラリアのパースへ卒業後すぐに旅立った!
ちなみにこの時英語は苦手で英検4級も受からなかった。。。w
もはや、冒険!ワクワクと不安がたくさんだった!
西オーストラリア州のPICEの語学学校で9ヶ月間通いました!西オーストラリアはオーストラリアの中でも日本人が少なくて、とても語学勉強に集中できる場所だと思います。
高校3年のときに、留学行くなら英検4級くらいとろうと思い、受けてみるが不合格。。。
カスレベル英語だったので英語を1から学び、友達もたくさん作ることができ、人にも恵まれ、卒業の時にはビジネスの話を英語でできるほどの英語力をつけた!
海外に行って、変わらなかった人変わった人、英語が伸びた人、伸びない人、退化した人、人それぞれですがぼくは語学の面も人間としてもとても成長しました!
1から自分を作り、友達も作り、英語を学び、その中で多様な文化、人種、性格、マナーと触れ合い、当たり前が当たり前ではなくなり、そこでまた自分という人間の軸を作り上げる作業!
とても勉強になりました!
できるだけ、日本人とはいないようにというか、いつの間にかヨーロピアンが周りによくいた。笑 おしゃべり好きな自分なのでスピーキングは誰よりも早く伸びたがボキャブラリーは少ないですね。。。笑
色々な国の人が会って、見た目や国や職業だけで偏見を持つ人が多いですが、人間は人間でいい人もいるし、悪い人もいるなととても感じた18の夏。
少し長くなってしまったので19歳、20歳、21歳はまったくちがうことをして長くなりそうなので次回の記事で紹介します🙋♂️🙋♂️